SM初心者こそ知ってほしい。「愛の儀式」か「正直な性欲」か、あなたが選んでいい
SMって、どこからがSMだろう? 痛いのが好きじゃないとダメ? それとも、縛られたらもうSM?
ね、こんなふうに**“定義”**に悩む瞬間って、案外誰にでもありますよね。私も本当にたくさん悩みました。
「鞭とか拘束具に、もっと崇高な理由がなきゃダメなんじゃないか」って、ネットの掲示板や専門書を読んで、自分に合わない硬い服を着せようとしていた時期がありました。
でも今は、こう思います。あなたの心地よさこそが、すべてだと。
この視点から、自分の快感を見つけるヒントを、ゆるっとほぐす先生のゆみかがお話します。
誰かの正しさに合わせようとするあなたへ
理由なんていらない。自分の「静かな興奮」を信じて
私自身、「どうしてSMが好きなの?」これ、よく聞かれますけど、私、正直に言うと「わからない」です。
これ! という一つの決定的なきっかけを持つ人の話を聞くと、どれもドラマティックで納得の理由なのですが、私には後付けの物語に聞こえてしまうことがありました。だからこそ、「自分にはSMをやる立派な理由がない。私はマニアではないのかもしれない」と、自分の欲望に自信が持てない時期もありました。
でもね、そんな物語なんていらないんです。
鞭、拷問、医療器具、ピンヒール…。こういうものに、性的にダイレクトじゃなくても静かな興奮を感じる。あなたの体が、その無機質の冷たい造形が持つ緊張感や、抗えない力の象徴にゾクッとした。
あなたの体と心が、その「静かな興奮」にゾクッとした。その事実こそが、あなたのSMの理由であり、入口だと思います。理由を後付けして、自分を納得させようとしなくていいんです。

「高尚なSM論」が、あなたの居場所を狭めていないか
SMとは…と語られていることのなかには、「これは愛と魂の対話だ」「救済の儀式だ」なんて、高尚な意味を無理やり持たせようとする論調があります。
そういう言葉に触れると、「私はただ気持ちよくなりたいだけなのに、こんなに深遠な意味を持たなきゃいけないの?」って、自分の欲望を否定してしまうかもしれません。
私は、ああいうのを見ると、暴力を美化するための装飾にすぎないんじゃないかな?と感じることがあります。SMが成立するのは、哲学ではなく、当事者同士の「合意と責任」があるからです。あなたの感じている「気持ちいい」を、誰かの高尚な理屈で否定する必要はまったくないと、私は思います。
「本格派」というラベルを脱ぎ捨てる
「本格派」なんて、誰かが商業的なルールや極端なプレイを基準に勝手に決めているもの。AVセックスを本物だと言っているのと同じくらいナンセンスだと、私は思っています。
あなたの「ゾクッときた」という感覚こそが、誰にも真似できない本物です。誰かの定義に自分を当てはめる必要はありません。
SMの正体は、日常の「前戯」の延長線上
ソフトとハードの境界線は、あなたの声で決まる
SMのソフトとハードの境界線なんて、本当に曖昧です。
お尻を叩くスパンキングだって、優しく叩いたらソフト? 皮膚が切れるほど叩いたらハード? お互いが性的に興奮し、楽しめているなら、それでいいのです。だって、それはあなたとパートナーの間の愛と信頼の中で決まる、個人的な基準だから。
SMは、実はみんながやっているセックスの盛りあげる要素を、極端に取り出して名前をつけただけではないかと思います。だから、そんなにかまえなくてもいい。意外とみんなやってるんですよ。「そこを舐めて」これだって命令って、SMの要素として意識化してみると、そんなに構えるようなものでもない。

「歪んだ欲望」を、正直に肯定しよう
「SMは挿入しないで脳でイクのが真髄だ」なんて、観念論を掲げる人もいます。でも、そういう人ほど、実際は性器をいじり倒したり、女王はペニバンでガッツリ犯しに来ることもあります。
SMは「魂の儀式」なんかじゃありません。 私は、人間の正直な、歪んだ欲望が溢れ出たものだと考えています。
私はSMをセックスの前の「前戯」だと捉えています。誰かの救済なんかじゃなく、お互いの歪んだ欲望を正直に解放するための、ちょっと過激な前戯。
「性的な側面があるなんて、下品かもしれない」と、もしあなたが自分の欲望を隠そうとしていたら、それはやめてあげてください。自分の性的欲求を否定しないことが、気持ちイイを正直なものにする、最初のステップです。
自分だけの快感軸のスイッチ探し
マゾの矛盾は、人間の正直さの現れ
マニアの多くが抱える「壊されたいけど、本当は捨てられたくない」という、あの根深い矛盾。
もしあなたがこの矛盾で苦しんでいるなら、私は言いたい。それこそが、人間として最も正直な感情ですよ、と。
矛盾の中で悶絶したり苦悩したりすることを楽しんでいる人がいるように、その矛盾をそのまま持っていることもまた、あなたの個性であり、強さです。
SMとは…と語られていることのなかには、この矛盾という生々しいリアリティを直視できない人たちの逃げ道として、理屈をつけて安心したいだけなのかもしれません。私は、あなたの歪んだ欲望をそのまま肯定したいです。
「これが私のSM」と言い切る勇気
ボンデージが元々はマゾの拘束衣だったという知識と、実際にそれを着てプレイした時の快感が結びつくように、知識と体験の交差点に自分だけの軸が見つかります。
「誰に何と言われようと、これが私のSMだ」。極端な行為ができなくても、誰かの哲学に共感できなくても、あなたの心地よさはいつも本物です。
SMはあなたの「感覚の言葉」
SMは哲学でも、宗教でもありません。
「愛と儀式」とか、難しいことは一旦忘れていいのです。
“何をされるか”より“どう感じるか”がすべてです。
あなたの歪んだ欲望と、パートナーとの信頼の中で完結する、あなたの感覚の言葉こそがSMです。
自分の感じ方を信じること。まずは、あなたの心が「これ、ちょっとエロいな」と感じるものを、優しく見つめてあげてくださいね。あなたの心地よさは、いつでも、誰の定義よりも正しいのですから。





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