女性が抱える性のモヤモヤを、実体験とゆるやかな視点でときほぐしたい、ゆるっとほぐす先生のゆみかです。
「おしっこを飲みたい」 その言葉を投げかけられたとき、わたしの胸をかすめるのは、嫌悪感よりも先に走る小さな「ゾクゾク」とした震えです。
それは決して、尿そのものに興奮しているわけではありません。その正体は、相手の「自己開示」への反応です。一般的には変態的だと切り捨てられかねない、秘められた性癖。それを私になら話せると信じて打ち明けてくれた、その勇気と覚悟。わたしは、そこに向けられた信頼の重みに反応しているのだと思います。裸の体をさらすよりもずっと深い、魂の露出。そこに、わたしはエロスを感じるのです。
「誰のでもいい」と言われた瞬間に、わたしの熱が醒める理由
だからこそ、わたしが最初に口にするのは、確認のための問いかけです。 「わたしのおしっこが飲みたいの? それとも、誰のでもいいの?」
この問いへの答えで、わたしの温度は一瞬にして決まります。もし相手が「誰でもいい、おしっこという行為そのものに興味がある」と言ったとき、わたしの中の「女」は、ふっと静かに目を覚まします。
それは、わたしがSMを愛しているからかもしれません。飲尿フェチというものは、ある種の信仰に近いものだと感じています。排泄物を神聖視し、ひたすらその物質を追い求める世界。そこには「わたし」という個人の存在が、あまりに希薄です。
相手の信仰が前面に出すぎたとき、わたしとの関係性や、そこで生まれる主導権のやり取りは、どこかへ置き去りにされてしまいます。わたしはただの「尿を出す装置」、代替可能なモノに成り下がってしまう。そのズレを感じたまま、無理をして相手の趣味に付き合うのは、ただただ自分をすり減らし、疲弊させるだけのことです。
相手のフェチを否定せず、わたしの「個」で塗り替える
もちろん、相手のフェチを否定するつもりはありません。「おしっこそのもの」に神聖な価値を感じる、その信仰のような熱量は、それはそれで一つの純粋な形。 「そうなんだ、おしっこがいいんだね」 そうやって、相手の欲望の形を一度はそのまま受け止めます。
けれど、そこからがわたしのやり方です。誰のでもいいという無機質なフェチの世界に、「わたし」という圧倒的な個を叩き込みたくなる。 おしっこが好きなら、好きにすればいい。でも、最後には「ゆみかのおしっこじゃなきゃダメだ」と言わせてしまいたい。
誰のでもいいはずの行為を、わたしという存在でしか成立しない快楽に書き換えていく。 「じゃあ、わたしのが一番おいしいって思わせてあげる」 そんな風に、相手の信仰ごとわたしが飲み込んでしまうような、主導権の奪い合い。そこにこそ、わたしはSM的な、あるいは対人関係としての官能を見出しているのかもしれません。
「同意」のない行為はしない。自分を守るための境界線
たとえ相手がどれほど熱望していても、わたしが興奮していないのに付き合うことは、わたしの感覚では「同意」ではありません。 自分の身体を、誰とでも替えが効くモノのように扱わせない。その線引きは、自分を守るために絶対に譲れない場所です。 「あなたが飲みたいのは、わたしの体から出た、わたしの一部なの?」という確認は、わたしがわたしとしてそこに存在するための、切実な防衛線でもあります。
もし、どうしても楽しめそうにないと感じるなら、わたしは静かに、けれど明確に断ります。 「今のわたしには、ここまでしかできない」
この言葉は、相手の性癖を否定するものではありません。相手の欲望そのものは尊重したまま、ただ、今の自分の限界を誠実に引き受ける言い方です。 すべてを受け入れることが愛だなんて、そんなのは幻想。できないことを「できない」と言う。それは、相手の欲望に対して誠実であることと同じくらい、自分の尊厳に対して誠実であるということです。
まとめ:あなたの身体は、あなただけのもの
飲尿を受け入れるかどうか、という問題の根底にあるのは、テクニックや嗜好の良し悪しではありません。自分の身体と、そこから生まれる欲望の境界線を、誰にも明け渡さないということ。
もし、その境界線を守りながら、少しずつ相手の扉を覗いてみたいと思うなら、まずは道具の力を借りたり、環境を整えたりすることから始めてもいい。
もし、言葉を介したやり取りのその先、意志すらも奪われた状態で「ただ受け入れる」という深淵に興味があるなら。
たとえば、こんなおもちゃもあります。
➔ 意志を封じ、ただ受け入れさせる「口乳痴態 シリコンリング猿轡」を覗く語ることを許されない口に、わたしのすべてを注ぎ込む。そんな「強制」の形が許されるのは、その根底に揺るぎない信頼があるときだけ。
遊びの領域を超える覚悟ができたなら、覗いてみてくださいね。
けれど、一番大切なのは、相手の熱に流されず、自分の内側にある「今の体感」を信じること。 あなたの体は、あなたのものです。 それをどう扱うかを決める権利も、もちろん、あなただけにあります。





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