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誘われた夜の計算
颯は二十五歳だった。社会人三年目。成人して七年目の男が、四十一歳の私を飯に呼んだ。
店を出るとき、彼は前を歩かなかった。横に並んで、信号の色も、私の靴の音も、気にしていない顔をしていた。 provoking なほどの無関心。それが、誘いだと分かったのは、交差点の手前で、彼が私の手首の内側に指を置いたときだった。
「このあと、来る?」
来る、の中身は、飯の続きではなかった。私は笑って、大人の女がする返事をした。いいよ、と軽く。年齢差を計算して、周囲の目を計算して、明日の自分を計算して。十六歳差。私が彼の母親世代に見える可能性。それでも来いと言った彼の、遠慮のなさ。
部屋へ向かうタクシーの中で、私は照明のことを考えていた。彼の部屋が明るすぎたら、どうするか。鏡はあるか。私の首の線、二の腕、腰のあたり。二十代の肌ではない。疲れが、夜の光の下ではすぐ顔に出る。教える側でいよう、と決めた。主導して、暗くして、見せる場所を選ぶ。それが四十一歳の余裕だと、そのときは信じていた。
彼の部屋は、思ったより狭くなかった。社会人三年目の一人暮らしにしては、床にものが少なかった。玄関の照明が白く、リビングまで届いていた。私は靴を脱ぎながら、その白さを測った。
教える側であろうとした私
コートを預かる前に、私はスイッチに手を伸ばした。二段階落とす。影が長くなって、窓の外の街の光だけが残る。私は彼のほうを向いて、先にキスをした。教える側のキス。深さも、間も、私が決めるつもりだった。
彼は受けた。受けて、すぐに、私の決め方を壊した。舌の位置を、私が置いた場所からずらす。顎を少し上げさせて、私の下唇を、教える側がされる側の噛み方で噛む。痛くはない。ただ、主導が、最初の十秒で私の手から落ちた。
「暗いほうがいいと思ってた」
私はそう言って、自分の声が説明になっていることに気づいた。彼は答えなかった。シャツの裾に指を入れて、肌に直接、掌を置いた。遠慮がない、というのはこういうことだった。撫でる前置きがない。触る、のあとに、触っていいか、が来ない。
私は彼のベルトに手をかけて、大人の女の手順を踏もうとした。外して、膝をついて、という順番。彼はベルトを外させなかった。私の手首を、さっき交差点で触ったのと同じ内側で掴んで、立ったまま私を壁に寄せた。
「教えるの、今はやめなよ」
低い声だった。笑ってはいない。私の額が彼の鎖骨に当たり、私は自分の年齢を、その距離で思い出した。二十五歳の胸は、私が知っているどの男の胸よりも、近くて、熱くて、余裕がなかった。余裕がないのは私のほうだと思っていた。違う、と体が先に知った。
服は、私が選ぶ順番では脱がなかった。ブラのホックを、後ろで、一つの動作で外される。胸が落ちる感覚を、私は隠したかった。手で押さえようとして、彼の手が先に来た。重さを、掌で受けて、親指で先端を押す。暗がりのせいではなく、その押し方のせいで、私の息が一度、途切れた。
「見てないつもりでいるの、ばれる」
彼は私の目を見ていた。私が自分の腹を、光から外そうとしているのを、見ていた。
明るいままでいい
スイッチに手が伸びたのは、彼のほうだった。私が落とした照明を、一段戻す。白が戻って、私の肌の色が、部屋の中ではっきりした。首の下。胸の影。三十代の終わりから、意識するようになった線。
「消さなくていい」
彼はそう言った。気遣う声ではなかった。見たい、と言っている声だった。私は顔をそむけた。そむけた先に鏡はなく、窓の反射だけがあった。四十一歳の肩と、二十五歳の手が、同じ画面に映っていた。
ベッドに座らされて、私はまだ、どこかで手順を持とうとしていた。位置を変える、脚の組み方を変える、声の出し方を決める。彼は私の膝を開いて、その全部を無視した。下着の端に指をかけて、ずらす。濡れていることを、布の感触で先に知らせてくる。私はそれを、年齢のせいにも、久しぶりのせいにもしたくなかった。ただ、彼の指が、私より正直だった。
「こんなになってるのに、まだ上の顔してる」
指は、入口を撫でるだけで、中へは入らなかった。焦らしている、と分かるほど、単純な止め方だった。欲しくなる。腰が、私の意思より先に、彼の手のほうへ寄る。私はそれを、大人の女の反応としてはしたくなかった。したくないのに、寄った。
「……入れて」
言葉は、私が選んだ言葉ではなかった。教える側の語彙ではなかった。彼は指を、一度だけ、浅く入れた。抜いた。蜜が、指に糸を引くのを、明るい光の中で見せられる。
「入れて、がどれか、言えよ」
指か、彼か。私は喉の奥まで熱くなって、それでも、まだ余裕のある声を作ろうとした。作ろうとして、失敗した。声が、途中で割れた。
「あなたを。……挿れて」
彼の呼吸が、そこで一度、乱れた。平気な顔が、薄い。二十五歳の男の欲が、一瞬だけ顔を出す。顎の線が硬くなって、私の腰を引く手が、さっきまでより短い。見られたくない自分の腹を、彼は掌で押さえて、逃げられない位置に固定した。
「四十一歳とか、今はどうでもいい。中、ほしい」
その言い方は、慰めではなかった。劣等感を消すための言葉でもなかった。ただ、欲しい、と言っている。私の線も、肌も、疲れやすさも、彼の欲の外側には置かれていなかった。置かれていないことが、私を、ひどく、静かに、ほどいた。
遠慮のない手
挿れた瞬間、私は声を噛もうとした。噛めなかった。奥まで、一度で来た。私が浅くしてほしい、と体で示す前に、彼は奥を知っていた。濡れているせいで、抵抗が少ない。少ないことを、彼は利用した。腰の動きに、私の年齢への配慮はなかった。体力の差は、最初の数十秒で分かった。私の息が先に荒くなる。彼の肩は、まだ、落ちていない。
「遅い。もっといけるだろ」
煽りは、下品ではなかった。的確だった。私の腰が、勝手に、彼のリズムに追いつこうとする。追いつこうとして、途中でとろける。中を擦られるたびに、声が喉の奥から漏れる。漏らさないようにしていた声が、形を失う。
イきそうになったところで、彼は止まった。抜かない。動かない。奥で、熱だけが残る。私の腰が、求めて、勝手に動く。動いても、足りない。
「……動かして」
「自分で言え。何が欲しいか」
私はシーツを握った。指が、布の中で滑る。明るい天井が、まぶしかった。隠す場所がない。腹も、胸の揺れも、脚の開き方も、全部、二十五歳の目の中にある。
「奥。……奥を、擦って。イかせて」
彼は動いた。今度は、止めなかった。私の名前を呼ばない。私にも、名前はない。代わりに、体のほうへ言葉が来る。「まだ締まる」「蜜、こんなに」「余裕、どこ行った」——一つずつ、私の演技をはがす。教える側の私は、もう、どこにもいなかった。
絶頂は、ゆっくりとは来なかった。喉の奥から、声が先に出た。言葉が、途中で溶ける。イく、と言おうとして、母音だけが残る。背中が床から浮いて、肩甲骨のあいだが、一度、弓になる。息を吸ったまま、止まって、止まっているあいだに、中で、彼の熱がまだ動いている。制御は、その瞬間に、完全に落ちた。腰が、私のものではなくなる。声が、私の喉のものではなくなる。
落ちてきたあとでも、彼は抜かなかった。鎖骨の下が、赤い。私の。彼の視線が、そこにある。二十五歳の体力は、私の回復を待たない。待たないことが、残酷で、救いだった。気遣われたら、私はまた、四十一歳に戻る。気遣われないから、今は、女でいられた。
二度目は、私が上になった。なった、というより、乗せられた。主導の形をして、中身は彼だった。私の膝が、すぐに震える。彼は私の腰を下から支えて、落とし方を、私に選ばせない。「浅い。もっと座れ」——従うと、奥に当たる。当たった拍子に、私の前の声が、また喉から出る。出してはいけない声ではない。出してしまう声だった。
「見て。自分の腹、隠すな」
私は手をどかした。光の中の、四十一歳の腹。彼はそれを見て、嫌がらなかった。見る、の熱のほうが強かった。求められることは、慰めより早かった。劣等感は、議論で消えなかった。中で、まだ硬い彼を感じているあいだに、先に溶けた。
二度目のイきは、声が出なかった。出ないまま、肩が落ちて、私が彼の胸に潰れる。潰れた先で、彼の心臓が、私のより速かった。平気な顔は、もう、彼のほうにもなかった。二十五歳の欲が、私の髪に吐息を落として、短い言葉になる。
「まだ、中にいたい」
三度目の途中で、私は自分の体に驚いた。こんなに濡れると思わなかった。こんなに、腰が、自分で追いかけてくると思わなかった。疲れやすいはずの四十一歳が、彼の掌の中で、まだ欲しがっている。朝までの体力はない。ないのに、言葉が、また溶ける前に、出てしまう。
「……もっと。挿れたまま、奥」
彼は応えた。応える速さに、遠慮はなかった。イくとき、私の手が彼の背中を掻いた。掻いた跡が、明るい光の中で、すぐ赤くなる。彼はそれを、止めなかった。止める理由を、最初から持っていなかった。
朝、素顔
朝の光は、夜の照明より容赦がなかった。カーテンの隙間から入って、枕の横の私の顔を、そのままにしていた。化粧をしていない。目の下。口元の線。四十一歳が、いちばん先に出る時間。
私は逃げたかった。布団を顔まで引き上げて、彼の目の外へ出たかった。彼は起きていて、肘を突いて、私を見ていた。見ることに、朝の遠慮もなかった。
「消さないで、って言ったの、夜だけじゃない」
声は、眠りの残りが混じっていた。二十五歳の、社会人三年目の、成人した男の声。私は布団の端を握ったまま、それでも、顔を完全には隠さなかった。隠さないことが、昨夜の延長だと、体が知っていた。
下は、まだ熱かった。中の感覚が、残っている。歩くと、昨夜の蜜の跡を、自分で思い出す位置がある。正気は戻っていた。年齢差の計算も、周囲の目の計算も、戻っていた。戻ったうえで、熱は減らなかった。
「また、来る」
彼は質問の形にしなかった。私は、大人の女の返事を、もう一度作ろうとした。作ろうとして、また、失敗した。喉の奥に、昨夜の声の残りがある。言葉は、とろける前の形のまま、短く出た。
「……来て」
彼は頷いて、私の素顔の、化粧のない頬に、口をつけた。気遣うキスではなかった。朝から、欲のほうへ寄っているキスだった。私は、逃げたいのに、嬉しかった。四十一歳の線も、肌も、疲れも、この部屋の光の中では、彼が要らないと言ったものの中に入っていなかった。入っていないことが、まだ、私の腰の奥で、熱のまま残っていた。


