愛が憎しみに変わる時

愛とはいったい何なのか?

愛が憎しみに変わる時
【愛】とは、

  • 欲するものではなく
  • 自分自身の中だけに存在しているものであり
  • 自分も【愛】の対象にも「受け入れる」気持ちをもち
  • 手に入れようとはしないもの。

これが【愛】です。

ですが、人間の欲は消えないものであり、愛を伝え愛を求め愛を手に入れようと、誰もがもがき苦しみます。

その時点で、まず「愛している。」とは言えない事を知って下さい。

愛と憎しみ

可愛さ余って憎さ百倍ということわざがあるように、愛と憎しみは紙一重です。


可愛さ余って憎さ百倍
日頃から可愛がっていた者に裏切られたりして、ひとたび憎いと思うようになると、その憎しみは可愛さの何倍も強くなるという意味。
愛と憎しみは表裏一体であるということが伺える。


このように、愛しているからこそ憎しみが湧くというのは、人間である限りどうしようもない事であり、愛していたはずの相手に対し憎しみが湧いてくる・・・


その愛が憎しみに変わる要因は、3つの気持ちから成り立っています。

自己愛への拘り

自己愛が強いのは誰しも同じ事ですね。

ですが、自分が納得いくように、相手をコントロールしようとするのは【愛】を相手に対し持っているのではなく、ただ自己満足を得たいがために愛していると言っているだけなんです。

自分の事を愛しているから、【愛】が【憎しみ】に変わります。

憎しみに変わった原因となる自己愛・・・・相手を自分の思うように動かそうとするのは、ただのわがまま・自分勝手ですね。

SEXに関しても同じような事が言えます。

相手はモノではありません。
相手も同じ自己愛を必ず持ち合わせているんです。

それを意のままに動かす事なんて、どうしてできるのでしょうか?

冷静でいない事には、憎しみに対する考えも全く違うものになってしまいます。

愛していると思う相手への拘り

愛している相手が、

  • 自分に愛を与えてくれていると感じている間
  • 自分が思った通りに応えてくれるうち

そんな時は【愛】となり、自分が思った通りに応えてくれなくなると、【愛】は【憎しみ】に変わってしまいます。

【愛】は手放すものです。

愛している相手へ拘ると言う気持ちは、決して【愛】とは言えないものです。
憎しみへ変わるのは、相手を思うがままに動かそうと思う心が引き出してしまっていますね。

上記の自己愛です。


憎しみへの拘り

【愛】が【憎しみ】に変わってしまった時、まず考えるのは何でしょうか?

  • これだけ信じていたのに、何故・どうして裏切ったの?・・・という自己愛への拘り
  • これだけ愛しているのにあなたはいったい何を考えているの?・・・という相手への拘り

そして、それが次第に変化し、次第に憎しみへ拘る最終段階へなってしまいます。

  • 手放したくないのに手放せない
  • 手放したいけど手放せない
結局のところ、結果は自己愛が発端となっている事に、お気づきでしょうか?

【愛】が【憎しみ】に変わる時は、必ずそこに自己愛が存在しているのです。


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