【男のオナニー】恥ずかしいと思う理由
基本的に人は性に対する興味も行為も、公では隠します。
男がオナニーを隠さないとはいえ、恥ずかしいのは当然です。仮に毎日オナニーをしていても、胸を張って言える内容ではないでしょう。
基本的にオナニーはいけないもの・恥ずかしいものという歴史あってのことです。
▼【女の性の不思議】オナニーはなぜ恥ずかしい?
男でも、オナニーが恥ずかしいと思う理由が別にありそうです。
オナニーを恥ずかしいと思う男
管理人紗江の知人たち数人に「オナニーは恥ずかしいか?」と聞いてみました。
すると、「男はオナニー対し恥ずかしいという気持ちをはっきりと持っているわけではない。
ただし、ある程度の年になれば、ダイレクトに『オナニー』を公言はしない。」とのこと。
オナニーしている?どれくらいの頻度で行う?と聞かれ、たとえ毎日していても「毎日」とは答えないのだとか。
基本的には、若いお猿さんの頃と比べて、年齢とともにオナニーは徐々に減少してくる。
そしてもし人に尋ねられても、「まぁ。適当に。」という回答になるとの事でした。
直接的に「恥ずかしい」という感覚ではありませんが、若干「恥ずかしい」という気持ちが含まれているのは間違いありません。
同性ならまだしも、異性に対しては特にです。
そしてオナニーを人に見られてしまえば、ほとんどの場合「恥ずかしい!」と感じます。
誰にも知られず行う行為だから恥ずかしい
男性のオナニーのアンケートでは、「親に見られて恥ずかしかった。」という意見が多く見られました。
若かりし頃、母親にオナニーを見られた経験、多くの男性がしているでしょう。
男同士ならまだしも、親・特に異性に見られるほど恥ずかしいものはありませんね。
それは『女のオナニーが恥ずかしい』でも解説しているように、「性は見せてはいけないもの」という教えあっての事です。
- 性器は汚いから触ってはいけない
- 人前でおちんちんを触るのは恥ずかしい行為である
女性ほどではありませんが、男性でも「オナニーしてはいけないもの」と教えられてきているからこそ、恥ずかしいという気持ちが刷り込まれてきているのです。
そもそもそういった道徳的な教えがなければ、今の世の中はありません。必要な事であるとも言えます。
しかし、男性はほとんどの場合射精を伴うので「仕方がない」という気持ちになれますが、女性の場合「ふしだら」と強く感じるので、余計に隠すようにもなったのでしょう。
モテない男と思われるから恥ずかしい
オナニーばかりしている男は、ある意味セックスで射精ができないと考えられる傾向にあります。
- 毎日一人でオナニーしている
- 毎日セックスしている
こういう男性がいるとすれば、明らかに『一人でオナニーしている男』は【相手がいない男】=【モテない男】と受け止めてしまいますね。
女にモテるという状態を、男は好みます。
ちなみに女にモテる事を履き違えている男が多い現実。
何を持ってモテるというのか?ただ誰にでもチヤホヤされるのがモテるのか?
たとえばお金があってそれに近づいてくる場合、その男は決してモテるとは言いません。
よく飲み屋なんかでありますが、身なりもそこそこで金払いが良ければ、当然店の子はその男にチヤホヤします。ただの利用価値のある人間です。決してモテているわけではありませんね。
芸能人ではどうでしょう?一般人になればモテないであろうと思われる男性でも「キモかわいい」と称されチヤホヤされます。
それは芸能人という特別な存在だからこそです。
人間はそういった特別なものに、惹かれてしまいがちです。女はその地位に惹かれているとは思わず「性格が好き。」「生き方が素晴らしいから。」と言います。
多くの場合がその人間の事を何も知らずに、ただトーク番組で発した言葉だけで思い込み惑わされているだけですね。その人物がテレビに出ていなければどうなるでしょう。
そしてそんな女と同様、お金や地位・権力の力でセックスができていても、自分はモテる男であると感じている男性がいるのも現実です。
そして女に相手にされず、セックスする相手がいないと、モテない男というレッテルを貼られてしまいます。
男はプライドが高い生き物です。関係なくとも女をモノにできる男の方が、いい男であると誰もが思うのは間違いありません。
よって、オナニーはモテない男のする恥ずかしい行為となってしまいます。
しかしセックスとオナニーは別モノですし、セックスしている男でもオナニーをする場合があります。
週刊ポストでは、モテるオスの方がオナニーにより射精して新しい精子の状態を作ると記されていました。
子孫を残せない恥ずかしさ
そして相手がいないと言えば、子孫を残せない状況とつながります。
射精は本来子孫を残すための行為です。
セックスできずにオナニーしているのでは、当然子どもを作れません。キリストの『オナニーは罪』であった思想と同様でしょうか。
オナニーの後に感じる賢者タイムは、ある意味こういった本能的な背徳感から起きているのも一つの理由かも知れません。
きちんと子孫を残せない男は人として劣っていると言われるのは、昔「男の子を作れない嫁はダメな女だ」と言われていた感覚も似たようなものでしょう。
ですから、不妊の男性を「種なし」というような言い方がされているのですね。
現代では、福山雅治のようなイケメンが「オレはオナニーの神様の子ども。」と公言する世の中。
芸能人が言えば、より多くの人に影響を与えます。
それでも【女が寄ってきて子孫を残せる男がするオナニー】と【相手がいなくて子孫を残せない男がするオナニー】とは、感じ方は異なってくるでしょう。
おそらく子孫を残せない行為であるオナニーは恥ずかしいとリアルに感じているわけではありません。
しかし【女にモテない】=【子孫を残せないオナニー】=【恥ずかしい】このような間接的なつながりがないとは言えませんね。
ですからどちらかと言えば、女性との交友がない男性ほど、オナニーを公言するのは恥ずかしいと感じているとも言えます。
恥ずかしい姿を見られて興奮する
一般的には、性別関わらずオナニーを見られるのは恥ずかしいものです。しかしその羞恥心は、少し違えば性的興奮を煽り、快感さえ与えてくれるものにもなります。
もちろん男性だけではありませんが、紗江は何度か男性がオナニーを見せている現場を見た事があります。
学校の窓から見える場所で堂々とペニスを出している男など…。
幼い頃から植えつけられてきた恥ずかしさが歪んでしまうとそのようになってしまうのでしょうか?
世間一般的に考えるとそれは恥ずかしく異常な行動であるとも言えますが、かなりの人がそういった感情を隠しているとも言えるでしょう。
紗江はカップルでオナニーを見せ合うのは、大賛成です。
しかし「人にオナニーを見せるのは恥ずかしいことだ。」と決めている思考は正しいのか、植えつけられたものであり正しいと言えないのかまでは、断言できませんね。
(PR)