【誠実】についての皆様からのご意見NO2

【誠実】についての皆様からのご意見
 ■No1■  ■No2■  ■NO3■

二人とも誠実じゃないですよね タクトさん


誠実の誠はまことで実は嘘偽りのない事ですよ。
奥さんに嘘ついて偽ってるんだから不倫してる人が誠実なのはありえないですよ。
彼女も裏切られたんだから誠実じゃないですよ。
彼女も不倫に対して絶対反対という意見を持ってたのにいい感じの人とか娯楽で簡単に流される人ですよね。
彼女は絶対にいけないと思ってる事でも周りに流されてしてしまう自分を持ってない人ですね。
周りに影響されて自分の考えを通せない人に誠実な人なんていないですよ。
自分の価値観をしっかり持ってないからその人の正義は周りによって簡単に変わると思いますよ。
誠実かどうかよりもいい歳して自分を持ってない事が格好悪いですね。
不倫は絶対に反対と思ってたのは奥さんを裏切る卑劣な行為だと思ってたからだと思うんだけど。
その考えも人に影響されて簡単に曲げて誠実な人なんて言ってるんだからね。
彼も彼女も誠実じゃないし欲に負けて自分の気持ちを通せない人だと思いますよ。
それに奥さんを裏切ったのは彼女も共犯ですからね。
自分が誠実かどうか考えたら自分と共犯の相手が誠実かどうかわかると思うし絶対反対って思ってた理由を覚えてたら自分と相手がした事が誠実かどうか悩む事もなくわかるでしょうね。
彼を最後の人だと決めてるとか言ってるけど絶対反対をあんな理由で通せなかった彼女の言葉にはまるで重みがないですよね。

タクトさんのおっしゃることは大変立派で正論です。


自分の欲を全て抑制し貫ける人は、本当に素晴らしい方ですね。

モラルがないです。さよさん

不倫はマナーやモラルだと思います。
結局自分さえ傷つかなければいいなんて、大人の言う事じゃないですよ。
他人の迷惑も考えられない、今時の馬鹿な若者みたいな考えですよ。
法律で決まって無くても、その人自身のモラルの問題です。
電車で座り込んだり、カップラーメン食べてる若者を見ても、何とも思いませんか?
あの若者たちも、あなたと同じ考えなんでしょうね。
あなたはもう大人なんですよね。
若い人たちの見本にならなければいけない立場ですよ。
もう少しモラルを持った方がいいと思います。
自分勝手な人の為に、どれだけの人が嫌な思いをするのかを、考えた事がありますか?
あなたも他人の自分勝手に、嫌な思いをした事があると思います。

おっしゃる通り、不倫はモラルの問題かも知れません。ただマナーというのとは、全く別です。マナーとモラルは、一見同じ事のように勘違いしてしまいがちですが、全く別なのです。

あなたというのは、サイトフィクションの人物紗江に対してですが、こういった誤解のご意見も見受けられます。


「結局自分さえ傷つかなければいい。」というのは、人間が何をしても完全にぬぐい切れない【欲】のことです。

不倫は絶対にしてはいけない行為だと思いますが、電車で座り込んだり、カップラーメン食べる若者とは、全く不倫とは精通しない複雑な感情が織り交ざったことですね。

そんな簡単にモラルという言葉だけで、解決できるのならば、世の中不倫で苦しむ人は一切いなくなるでしょう。

全ての物事に対して、世の中全ての人に対して、モラルを守れる・全ての欲を取り払える人がいるのだとすれば、その方は神様です。

だからこそ人は、そうした葛藤の中で苦しみながら生きているものなのです。

上記のページの男性のように、自分で必ず不倫はしないと決めている方の言っていることは、大変素晴らしく、不倫で女性を傷つけない男性です。

この感情は【自分自身で決めている】ことなのです。

なので、いただいたご意見の通りかも知れませんね。上記タクトさんと同様、大変素晴らしい人物だと感じました。

すべての欲を抑えられる人はいないと思います じゅん さん


モラルやマナーにも種類があると思います。
みっともないので私はしませんけど、電車で座り込んでも誰も傷つかないですし、どうでもいいと思う人もいると思います。
人それぞれの感覚の違いですよね。。
そういうのと違って、不倫や窃盗、暴力等は誰もが嫌がる事です。
窃盗や暴力よりも不倫に対する罪悪感が低いのは事実だと思います。
結局は自分がどこで線を引くかによって変わってくるんだと思います。
浮気はいいけど不倫はだめ、不倫はいいけど泥棒はだめ、泥棒はいいけど強盗はだめ、強盗はいいけど殺人はだめ。
でも一つ言えるのは、一度越えてしまうとなかなか元には戻れないと言う事です。
楽する事を覚えたり欲を抑えなくなると、戻れなくなりますよね。
人はそれほど危ういものだと思います。。
自分で引いた線を越えないのは大変でも立派でもないと思います。
誘惑に負けて線を越えてしまった人が、戻るのが大変なんだと思います。
不倫も一度するまでは、しない事が当たり前だったと思います。
一緒にしてはいけないと思いますけど、煙草や覚せい剤もした事のない人は我慢する事も苦痛もないですよね。
線を越えた人と越えない人で変わるだけだと思います。
自分で引いた線の中の欲を抑えるのは誰でも難しいです。
人の欲には限りがないですから、自分の引いた線を越えれば越えるほど抑えるのが大変になるんだと思います。
一度越えてしまうと当たり前が我慢になってしまいますから、越えてない人は無理なく抑えられるんだと思います。
きっかけは些細な誘惑だと思います。
人の心はもっと深いと思います さちさん

色んな話を読んでますけど、考え方に偏りが多いと思います。
不倫相手に捨てられたみゆきさんが相手の前で泣いて怒ったのはなぜでしょうね。
憎んで恨んで泣いてすがってどうして?そんな事を言うのはまだ相手を信じてるからです。
そんな人じゃないと確かめたいから出る言葉です。
その気持ちに整理がつくのは相手を信じているからではなく、間違いを認めたからだと思います。
間違いを認めて出したのが、裏切られたんではないという答えだったんでしょうね。
確かにみゆきさんは相手の心変わりだけで、詐欺にあった訳でもないですから、裏切られたと思う理由はないと思います。
自分を裏切るのと、信じた自分が間違ったと思うのでは意味が違います。
相手を信じてるから言ってしまう事や、してしまう事があると思います。
それほど信じてない友人に騙されたり裏切られたら、怒るよりも二度と関わらないようにしますよね。
結婚詐欺や夜逃げの話は、信じてるからすぐに事実を認められないんだと思います。
浮気されて棄てられただけのみゆきさんの苦しみとは、比べ物にならないものだと思います。
みゆきさんのように苦しんだあげく棄てられた事実は受け入れる事はできても、愛した相手が詐欺師だとは認めたくないという苦しみもありますよね。
それが固定観念だとしても相手を信じたいから、奪われたものを返してほしいと思うものです。
何かを奪いたいが為に騙した事ではなくて、他に理由があったからだと信じたいものです。
それが惜しくないわけではないと思いますが、一番の理由は相手がそんな人ではないと信じているからだと思います。
それが自己愛だとしても、自己愛は誰にでもあって消す事の出来ない感情ですよね。
幸せになりたいと思う気持ちや信じた気持ちを利用されて、騙されたと思いたくないと思うのは普通の感覚だと思います。
その感情の真意は信じることから出るものではないですか?
愛と自己愛は共存しているんですから、信じる気持ちと信じたいと思う自己愛は同時にあって当然ですよね。
裏切られたと怒るのは信じる気持ちがあるからで、自分を裏切っているからじゃないと思います。
でも恋人同士の別れと違い、詐欺や夜逃げのように客観的事実がある場合は、自分の間違いを認めて裏切られたと思うしかないですよね。
裏切る気がなければ奪ったものを返すでしょうし、返さないまま逃げたら事実を認めるしかないですから。
それは自分を裏切っているのではなくて、間違いを認めただけだと思います。
裏切られたと思うのは自分を裏切るというのは、普通の恋愛や友人関係の信頼に言える事で、全ての事に言える事ではないと思います。
夜逃げの話では固定観念によって間違った認識をしているかも知れないと言ってますよね。
間違った認識を正すのは自分を裏切る事ではないですよね。
逆恨みと恨みの違いみたいなものだと思います。

裏切った人も裏切られた人も事実は事実として認める事が大事 尼さん

裏切られたと思うのは悪い事でも自分を裏切る事でもないですよ。
信じた気持ちを諦めたにすぎませんから寧ろいい事です。
諦めるというのは本来の意味でですよ。
だからといって恨むかどうかは別の話です。
(明ら)かな事実を認(める)事が諦めるの本来の意味です。
割れた花瓶は元には戻らない、明らかな事実を認めるから諦められると言う事です。
割れた事実を認めない事は誰にもできないように、裏切られた事実も同じです。
事実を認めてなければ悔やんだり恨んだりせず平常心でいられるはずです。
人によって変わってくるのはその後です。

  • 割れた花瓶をどうにかして元に戻せないかと思い捨てられない人。
  • 割れたものは戻らない事実を認め捨てられる人。

違いは愛情や愛着の差ではなく、明らかな事実を認められるかどうかです。
元には戻らない明らかな事実を認めた人は、悔んだり執着する事の無意味さを悟ります。
事実を認められない人は諦められずに執着します。
裏切られたと思わないのは自分を信じるでも相手を信じるでも無いと思います。

何より裏切られた事実は憎んだり苦しんだりした時点で嫌でも認めているはずです。

人が認められないのは棄てられた事実の方です。
大切なのは事実を認めてからどうするかであって、事実を認めない事には前に進みません。
相手を憎むために事実を認めるのではなくて、執着を取り去るために必要な事だからです。
裏切られて棄てられた(明ら)かな事実を認(める)と、執着することに何の意味もない事を悟ります。
そのプロセスのないただのあきらめだったら、未練と執着が残って苦しみが続きます。
事実は事実として認める事と恨むかどうかは別問題です。
苦しみの要因の多くは事実を認められない事だと思います。
苦しんでいる人の気持ちを楽にするために必要なのは、相手を憎む事でも裏切られたと思わない事でもないです。
諦める事です。

諦めるために必要なのは、明らかな事実を認める事です。

明らかな事実を認めずに本当に諦める事は出来ないんです。
何の未練もなく諦められた物事は誰にでもありますよね。
それはまだ可能性があると思う事ではなく、絶対的な実力差や力不足を痛感し認めた時だと思います。
自分がどれだけ頑張っても絶対に無理だと悟った時、悔いを残さず諦められます。
そのために事実をそのまま認める事は大切だと思います。
それは色んな事に共通して言える事だと思います。


皆様、貴重なご意見をいただきまして、どうもありがとうございました。